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「最初の100機」を形作っていくために


「最初の100機」を形作っていくために、このwebサイトでは収集済みの各機のサムネールを掲載している。複数の写真が集まった機体もあれば、当然未だ手がかりさえない機体もある。

最初の100機+1割増量の110機のうち、登録の欠番が6機分ある。
それらはJA2042、44、49、54、79、84、である。

また、JA2001番台に相当するものに、萩原で昭和36年6月に製造された防大B4がある。
それは萩原の製造番号48のH-23B-2である。

48番ということは、47番のH-23C、JA2037「第2小学館号」の次に生まれた機体ということになる。

ちなみに製造番号が次の49番は、H-22B-2/JA0179(中央大学)、50番は、H-22C/JA0181(早稲田大学)と続き、萩原の次のJA20番台はH-23C/JA2039(工学院大学)であった。

なお、防衛大学校の防大B5については、一時的にJA2074の民間登録がなされている。

したがって当面、100+10-6+1=105機、これらすべての機体の写真を集めることを目標にしたい。

とはいっても、山菱式SED-8や、03式コンドル、倉橋式KD-1、九帝式11など、考えるだに収集が難しそうな機体もある。

一方でこの前、どうやって撮ったんだろうと思う、ループの過程で空中に見事に突っ立った鷹8/JA2027の空撮写真も、見せていただいた。いま、その種の写真にはなかなかお目にかかれない。写真使用のご許可を待っているところである。

これまでに何人かの方に声をかけて、場合によっては参上し、アルバムを見せて頂いてスキャンした。画像のデジタル・データを送っていただいたり、わざわざ仕事場に届けて下さった方もおられる。このwebサイトでご紹介している写真は、その一部である。その他にも、写真を届けて下さるのを待っている機体がいくつかある。

集まった写真は、当初からの焼きムラ(空が背景だと目立つ)があったり、紙焼きが変色していたり、傷があったり、ネガにカビが発生したりしていることが多い。それが時代を物語っている。それを、ものによっては1コマにつき2時間以上かけて補修する。

写真のデジタル補修など暇なときにやればいい、それよりも稼ぐことが先だろうと、もう一人の自分が言うが、どの写真も奇妙に愛おしい。
入手したら、仕事の都合などおかまいなしに、直ちに補修をしたくなるのである。
そうした修正を施すと、写真は見違えるように存在感を発揮してくれるのである。

06年8月24日の時点で、105機中75機の写真が集まっている。
なんだかあと一息、という気持ちになって、こうして発表することになったわけである。

ただ、「最初の100機」−リストにすでにサムネールがあるからといって、それで事足りているわけではない。

機体は、時代と共に所有者が代わる。

経年による機体コンディションの再生、事故などによる修理、などを受けると、新たに羽布が張り替えられ、塗装が変わり、全く別機のような姿になる。
複座だったのに、単座に改造されたのみならず、翼の形そものもが変化してしまったH-23初号機のような例もある。

そして、その機体のその時代ごとに、きっと数多くのストリーが書き加えられていったはずである。

だから、この時代のこの機体、といったように、1機のなかにも歴史を追って、できるかぎり多様な姿を集めたいと思っている。

本を作る際、当然の事ながら、素材の分母が大きければ大きいほど、いいものができる。

現在「捜索中」となっている機体写真はもちろんだが、リストに既にサムネールがあるけれども、私の撮った写真、私の保有する写真、この写真はどうだ、といったご提供を、皆さんにお願いしたい。

あるいは、私は写真を持っていないが、あの当時、この人がたくさん写真を撮っていたはずだ、といった情報も非常にありがたい。編集部から改めてその方にご連絡したいと思う。

また、個別の機体のストーリーを集めなければならない。

その機種を選定するにあたり、クラブ(航空部)の中でどのような意見が出ていたのか。
購入にあたり、その資金調達はどうされたのか。
どんな人たちが、製造するメーカーにお手伝いに行ったのか。
機体が納入され、運航が始まって、その機体はどんな実績を上げたのか。
記録など作った機体であれば、その時の状況はどうであったのか。
もし、悲しい事故があったとすれば、それはどのように理解され、どのように改善策がとられたのか。
そのクラブで使われた飛行回数、飛行時間などはどの程度であったか。
中古機として他のクラブに手渡されたが、それはどのような理由によるものだったか。

人が関わり機体が飛ぶ限り、いろんなお話があるはずである。

それを関わった方に書いてもらいたい。
書くのはかなわない、とおっしゃる方も、何かの方法でインタビューに応じていただくなりして、教えてもらいたい。
それならば、この人こそ中心人物だから、この人に聞いてみて、という方をご紹介願いたいのである。

写真とお話が集まれば、いわゆる団塊の世代か、より年配の人たちの青春時代が再現され、その中で「最初の100機」が物語る戦後日本滑空史が、次第に見えてくるように思う。

〜 2006.08.24 瀬尾編集長筆 〜

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